【情報】原発をとめるための4つの方法(弁護士:海渡雄一氏)

点検で停止中の原発の運転再開をゆるさなければ、4月末には原発ゼロに。
今必要なのは、原発を止めておくこと、そして、脱原発に政策の舵を切ること。
eシフトは、弁護士の海渡雄一さんにお話を聞きました。(2012年1月25日)

■原発をとめるための4つの方法(可能性)
原発はすぐに止めたいが、日本は法治国家である以上、止めるための法的裏づけが必要。4つの方法(可能性)がある。
1)立法でとめる
 「脱原発法」の制定。
2)司法でとめる
 福島や高浜などのMOX訴訟や浜岡原発訴訟などの例。
3)行政でとめる
 原子力規制庁による規制の強化により、運転再開ができなくなる可能性がある。
4)地方行政でとめる
 原子力安全協定の中に、「自治体の同意」が入っている自治体は、原発を止める権限がある。住民投票によって、自治体の首長の意見表明について影響を与えることも可能である。しかし、そのためには直接請求のための署名と議会の多数による住民投票条例を可決することが必要である。入っていない自治体では、今からでも「同意条項」を入れるように働きかけるのも、重要な 戦いの場になる。
なお、国民投票については、日本にはまだ制度がないので、個別の政策に適用され
る国民投票法をまず作ってからになる。

■原発訴訟について
これまでの原発訴訟の判決で、今後の訴訟に使えるものがいくつかある。7月に発足した脱原発弁護団ではそれらを情報共有し、それぞれの原発についてあらゆる角度から攻めていく。
たとえば、1992年の伊方原発訴訟の判決。安全審査の目的について「災害が万が一にも起こらないようにするため」に安全審査を行うのだと書かれている。そういう目でチェックすべきだということだ。
この判例をもとに、安全審査の違法性を指摘できる可能性がある。たとえば、浜岡
の場合で言えば、マグニチュード9の地震も想定すべきだということになる。
また、「現在の科学技術水準に照らして」安全審査の過程に見逃すことができない過誤や欠落があるかどうかを判断するべきだと書かれていることが重要である。地震学や地震関連分野の科学的進歩はすさまじいものである。数年で科学的な知見の内容が大きく変わる。また問題点を原告側で指摘し立証すれば、あとは被告側で立証を尽
くさなければならないとして、立証責任を国に転嫁している。

■耐震設計審査指針、安全評価指針の見直し
原子力安全条約には、現在の科学的に知見に合わせて安全性を見直していくべきで
あると書かれていた。しかしこれまでの原子炉等規制法はそういう法制度になって
いなかった。
新しい耐震設計審査指針に基づいて「耐震バックチェック」をすることにはなっていたが、それは許可のための安全審査をやり直すことではなかった。しかし、再処理の行政訴訟では、バックチェックが終わるまで被告側は準備書面を書けなかった。国の公式な見解はバックチェックが終わるまでは出せない。したがって許可が事実上は無効になっている状態と言えるが、法的には有効で運転も停止されなかった。
今回の福島原発事故を踏まえて、新しい耐震設計審査指針や安全評価指針を作るまで、本当は原発を動かしてはいけないはずだ。しかし、それでは大混乱がおきるため、バックチェックをやっている間も運転を認めてきた。ただ、中越沖地震によって停止した柏崎原発については、バックチェックが終わるまで動かせないことになっている。これは、新潟県の強い姿勢が影響している。浜岡についても同じ扱いにするように中部電力に求めていた途中で今回の福島原発事故と震災が起きたということになる。
新しくできる原子炉等規正法の中では、認可条件として「バックフィット対策」が入れられた。バックチェックはなくても動かせるが、バックフィットは運転再開の条件。ようやくそういう法制度となった。

>原子炉等規正法改正案の骨子(内閣官房、2012年1月6日)
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/pdf/120106siryou.pdf
>原子炉等規正法改正案の骨子に対する日弁連会長声明(2012年1月13日)
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120113_3.html
■運転再開のプロセスについて、新しい規制制度と現行のストレステスト
ストレステストは、原子炉等規正法の中での位置づけが全くわからない。市民をたぶらかしているだけだ。法律家としてはゆゆしき事態だと思う。これまでの審査の指針で本当に問題がなかったかを検討し、指針を見直し、これに適合しているかどうか、バックフィットができているかを検討し、この条件を満たさない限り運転再開は認めないということとなる。規制行政が危険なものだから運転は認められないと言えば、電力会社に対する損失補償もいらなくなる。
そういう意味でも、いちばんきれいな止め方は、各原発について、適正な審査をし、地震等の対策が不十分であるから、安全審査を通らない、バックフィットが認められないということで止めることだと思う。

■原子力規制庁のあり方について
批判派をどんどん入れる必要がある。次に、環境省の中で、原子力規制をやるという人を、積極的に育てること。保安院からある程度の人数の人が行くことはさけれない。ただし、その場合には片道切符にすべき。これがかなり重要で、政府案では審議官レベルだけをノーリターンとする案となっているが、これでは不十分である。一生の仕事に選ぶとなったときには、原発の安全性を重視する人が集まるだろう。
また、規制庁長官が、経済産業省よりも、上に立つ権限を持つこととすべきだ。また放射線防護も所管する。原子力安全委員会にかわって、原子力安全調査委員会という組織が立ち上げられるが、所管事項は非常に狭い。今まで原子力安全委員会は、保安院とは別に、安全審査についてもダブルチェックすることになっていた。手続きをストップさせたこともあった。それが一つの機関になると、手続きが簡略化され、むしろ規制が緩められてしまう危険がある。
原発運転期間の20年延長可能性についても、市民の側からもっと厳しい規制にすべきだという声をあげなければならない。いずれにしても、法案の条文を分析しなければならない。
>原子力組織制度改革法案(2012年1月31日)
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/kakugikettei.html

■東京電力の賠償責任問題について
JALのように会社更生法類似の破たん処理をさせ、経営者を入れ替える、ということは考えられる。ただ、東電の場合、100万人を超える債権者を法的に会社更生手続きで処理することは難しいのではないか。したがって、東電の場合にだけ適用される法律を立法化して、同様の効果を上げるようにすることが検討できると思う。
民事再生を適用するについても、規模が大きすぎる。適用可能性があるのは、会社更生法だ。電力の供給はストップできない。しかし本当に会社更生を行う場合、被災者の債権が真っ先に切られる。これは不合理である。現在の支援機構の枠組みでも、このような新たな法律による破綻処理は可能である。
日弁連は、送電網は国有化し、発電部門と分離するという提案をしている。
いま行われていることの異常な点は、国の資金が「交付」すなわち贈与されていること。普通であれば貸付金にすべきだ。しかし、東京電力を倒産させないための措置として資金を交付している。つまり、実際には東京電力は倒産状態だということだ。

■原子力損害賠償法の、保険金1200億円は見直すべきでは
原賠法はいらない法律だと思っている。市場原理でいえば、原発の保険金は莫大となり、経済的に成り立たない。原賠法の保険の責任制限をとれば、原発の本当のコストが明らかになるだろう。今の法律の下でも、保険金を100倍にあげるとすれば、経済的に成り立たなくなるだろう。

■避難問題と20ミリシーベルト基準について
日弁連は、7月22日に会長声明を出し、以後もことごとく、20ミリシーベルトを基準とすることについてはおかしいと言い続けている。疎開裁判では残念な裁判所の決定が示されているが、現実には、自主避難により経済的な被害を受けた人がいれば、紛争性があるということで裁判にしやすいと思う。しかし、その前の段階では、郡山裁判ではかみ合った結果にならなかった。どういうかたちの訴訟類型にしたらいいのか、よく考えないといけない。
少なくとも、追加1ミリを超えるところからの自主避難に対する実費を請求する裁判はありうる。あまり難しいことを考えずに、そういう裁判で、勝たなければならない。そうすれば、避難の権利があることがはっきりする。
どこで線をひくか。チェルノブイリの場合は5ミリである。なので、最初は、2ミリの場所の人よりも、10ミリを超えている場所の人が原告になるほうがいいと思う。
たとえば、ADRに申し立てをし、10ミリを超える場所から避難している人の避難経費を損害賠償させるよう申し立ててみる。次は5ミリ、その次は3ミリと事例を積み上げていく。このようにして、避難の権利の範囲を拡大していく闘いが必要ではないか。

■原発は憲法違反、健康で文化的な生活、を脅かしている?
70年代に最初の原発訴訟が起こったころは、原告はみなそう言っていた。核と人類は相容れない。このような主張は残念ながらことごとく裁判所によって退けられてきたことは確かであるが、現に福島原発事故によって、大きな人権侵害が起こった今は、憲法を訴えの根拠につかうことは十分ありうると思う。お隣の韓国でも原発推進が韓国の憲法に違反するという訴訟が提起されたようである。

■ドイツの倫理委員会について
面白いところは、これまで原子力を巡って二つの立場、すなわち絶対的な撤廃論と、比較衡量論があったといっている。しかし、福島原発事故によって、電力をつくるために、ほかの手段があり、かつ原発事故のリスクがこれほど大きいことが明らかになった。したがって、二つの立場は原発を停止するべきだという点では委員の全員が一致したとしている。この理屈は非常に参考になる。日本では、原発を進めなければいけない、という考えが、前提になっていて、このような理性的、倫理的な判断がなされていない。

■今後の市民運動について
みんな、自分がやっていることが大切だと思ってやっているが、とりあえず他の人がやっていることについても認めあうことが大切だ。情報を交換しながらやることも大切である。どこかで成功しそうになったら、みんなでそこに加勢にいけばいいと思う。
自分自身は、浜岡原発の控訴審の裁判で勝ちたいと思っている。司法で勝てば、ずいぶん状況が変わると思う。しかし、そのような手段がすべてではないとも思っている。
ゆるい連帯のもとで情報交換しながらやっていくことが必要。